京野正午

『これからの友情』

2026年8月1日

丸田洋渡さんの第一歌集『これからの友情』を拝読し、突き動かされるようにして感想を書きました。感想文の構成として、歌集全体について→作者について→作品について→(本当に僭越ながら)五首選という形で書いています。ときおり自分語りが挟まるので、ぜひ読み飛ばしてください。不都合があればすぐに修正いたします。

歌集全体について

まずタイトルですが、個人的に英語だと予想していたので(『FRIENDS』など)、『これからの友情』というのに新鮮な驚きがありました。本歌集は、2024年3月に第3回あたらしい歌集選考会(ナナロク社)で丸田さんの100首が木下龍也さんに選出されて出版が決定したのですが、「これからの友情」は『文學界』2024年9月号に掲載された連作のタイトルで、受賞後に発表された作品から持ってくるという決断が本当にかっこいいと思いました。元々構想を練られていた連作かもしれないので適当なことは言えませんが…。エゴサーチのしやすさという観点も確かにすごく重要ですね。その点でいうと同じ第三滑走路の青松輝さん『4』は(単体では)ほぼエゴサ不可能なタイトルだと思うので、そこの対比もおもしろいなと思います。

次に装丁について、ご本人がおっしゃっているようにミッドサマー感のある配色がばっちりはまっていて、サテン生地の表紙というのも初めて触って感動がありました。写真ではこの感触が伝わらないので、まだの方はぜひ本屋さんに行って見てみてほしいと思います。また一首ごとのレイアウトも、夢の中のような浮遊感があるようで歌集の雰囲気に合っています(これもぜひ買って確認してほしいです…!)

丸田さんはnoteの記事で、(当時時点で)一番すきな歌集として谷川由里子さんの『サワーマッシュ』を挙げられていて、ということは連作が集まった形ではなくひとつの大連作になるのかもしれないということをぼんやり考えていました。その予想自体は当たったのですが、まさか500首で1ページに1首とは…。本当にすごい。超巨大連作として読んだときに一首一首の並べ方に神経が張り巡らされていて、読むスピードさえもコントロールされているような不思議な読後感でした。

作者について

(自分語りパート)私は木下龍也さんがきっかけで昨年夏に短歌を始め、木下さんの『天才による凡人のための短歌教室』を読む→そこで紹介されていた中澤系さん『uta0001.txt』を読む→栞で青松輝さんを知る→『4』を読む→第三滑走路に行き着く→固定ツイートで丸田さんの先述の選出を知る→木下さんによる10首選を読むという流れで丸田さんのファンになりました。そことそこが繋がるんだ、という、木下さんを起点とした不思議な円環があるようなイメージです。

年齢でいうと丸田さんは私の一個上なのですが、これから私が短歌を続けていくとして、ずっとまるで勝ち目がないのだろうなと感じています(同世代だからこそ、その衝撃は大きいです)。歌歴とか創作歴の浅さでは言い訳が効かないような差というか。新人ショートショート作家が星新一に対して感じる絶望感のような。バカリズムがR-1で都道府県を持つネタをやって、それ以降類想のネタが一気に陳腐化したような(これはちょっと違うかもしれません)。「新しい」だけではもはやダメで、「新しいかつかっこいい/おもしろい」を目指す必要があるんだなと、丸田さんの作品を読むと痛感します。

また余談ですが、私が一年間創作を続けてきた中で最も影響を受けた文章が丸田さんの以下のnote記事です。『これからの友情』の副読本として非常に重要なことがたくさん書かれていると思うので、シェアさせていただきます。

作品について

本歌集のひとつの重要なテーマとして、あとがきにもあるように「夢」というのがあると思います。とすると、私は怖い短歌・不穏な短歌がすきなので「悪夢」の部分に強く惹かれます。基本的にはこの観点で歌をセレクトしたので、あまり代表歌を意識した引用ができておらず申し訳ないです。なんというか、 薔薇と蜂/製氷室に蜂がいる/薔薇の溢れる製氷室に などの代表歌は私の中で殿堂入りしてしまっていて、自分が何かを言うのが烏滸がましいと感じるレベルなので…(もちろんすべての短歌について同じことが言えるのですが)。

以下、特に言及のない限りすべての短歌は『これからの友情』からの引用です。

海を見ている 火を裏返すと風のおかしなボードゲームのあとで

初読時は海外のボードゲームをイメージしていたのですが、改めて読むと、将棋のように裏返って駒が成るようなルールなのかなと想像しました。将棋はまったく詳しくないものの、敵陣に入ると駒が裏返って性能がパワーアップするのはかなりかっこいいな、というのはなんとなく思っています。その動きって「風」っぽいよな、とも。火のカード(あるいは駒)が裏返って風になる、これはすべて二次元の世界で起こっていることだと思うのですが、この歌の中では本当に風が吹き始めるような感覚があります。二次元→三次元のシームレスな切り替わり。さらに、「海を見ている」という実景から始まることで、三次元→二次元→三次元というような流れがあるような気がしていて、海・火・風という強いことばを三つも使っているのにまったく胃もたれしない爽やかな読み味になっていると思いました。

遺言は人間だけができること 合鍵の合鍵のゆがみ

「こういう文化って人間だけに見られるんですよ〜」みたいな言説はよく聞きますが、そのたびに私は結構懐疑的な目を向けてしまいます。ヒト以外の種を舐めている感じがある。それでいうと、この短歌の中でも同じような疑いの眼差しがあると思っていて、それは下の句の「合鍵の合鍵のゆがみ」というフレーズの悪意ともとれる要素でそう感じました。ここで「合鍵」というワードが出せるのがすごすぎる。遺言の簡単に曲解されてしまう感じ(尾ひれがすぐにつく)と、合鍵の伝言ゲーム性に意外な共通点があって驚きます。私が丸田さんを氷属性の歌人だと思うのは、こういう冷めた視線によるところも大きいです。あと技法的なところで言及しておきたいのが、体言止め・一字空けの使い方です。短歌の入門書であったり、歌人が初心者に指南するというような記事で、「体言止めや一字空けは多用すると素人っぽく見える」ということがよく書かれている気がします。短歌のセオリー。ただ、作者は歌集内の他の歌でも平然と完璧にこの技法を使ってみせていて、この文体に影響を受けているひとは私以外にも結構いるんじゃないかなと思っています。

四次元の弁当屋から春色のチラシが届く 移転のお知らせ

「四次元の弁当屋」というフレーズに非常に現代川柳味を感じ、すごくおもしろかったです。「春色」などの単語が醸し出す牧歌的な雰囲気の中で「四次元」の異質感…!売られているお弁当が四次元というよりは、弁当屋自体が四次元に存在している感じがあります。私は次元という概念がすきなので再びその話になってしまうのですが、チラシって(厳密には三次元ですが)ほとんど二次元で、ということは四次元のお弁当屋さんのチラシは広辞苑くらい分厚く立体的な可能性があるな、といった妄想もしました。川柳に寄りすぎた読み方かもしれませんが…。結句の肩透かし感もとても面白いです。このお弁当屋さんはどこに移転するのでしょうか。五次元であってほしいと、なぜか切に願ってしまいます。

偽・satellite・聖・satellite・眼を積んだ要塞がそれを見開くとき

偶然発見した丸田さんの日常アカウントに、この短歌についてリプライを送りつけてしまったこともあるくらいめちゃくちゃすきな歌なので(本当に痛いファンですみません)、歌集の形で読めて感動しました。ただ、いざこの短歌について評を書こうとしたときに言葉に窮するというか、不用意になにかを言うとすべて崩壊するような繊細さがあるという風にも思います。的外れすぎて普通に恥ずかしいので書こうか迷ったのですが、私がこの短歌を初めて読んだときイメージしたのは、よくTwitterとかでバズっている「聖書的に正確な天使」の姿でした。

こういうものです https://occulticsiesta.hateblo.jp/entry/no11

くるくる回っているいくつもの眼球が衛星っぽさがあり、天使というよりは「要塞」という表現がぴったりくるなと…。これが本当に聖書的に正確なものなのかはわからないですし、冒涜だと言われれば本当にその通りなのですが、少なくとも従来の天使(優しげな少年、金色の輪っかが頭上にある)よりは好感が持てる姿だなと捻くれた私は思います。丸田さんの作風である英単語の導入もはまっていて、あと中黒が眼球っぽくなっているのもおもしろいポイントなのかなと勝手に思っています。

プリズム/三人は論理を守る/天上の闇/三人とも死ぬ

かっこいいです。短歌におけるスラッシュの使い方は色々な歌人が研究していると思うのですが、一つの効果として「カット割り」があるのかなーといったことを考えました。この歌でのカット割り(あくまで私のイメージです)を追うと、〈シーン1〉カメラは天窓を映していて、光がそこから射し込んでいる→〈シーン2〉聖堂のような場所で論理を守っている三人(新約聖書の「東方の三博士」みたいな?)がいる→〈シーン3〉カメラが再び天窓を映すと、先ほどまで明るかった空が真っ暗になっている→〈シーン4〉聖堂の床で三人が死んでいる みたいな景が浮かびました。(歌集中の多くの歌にも言えることですが)美しいホラー映画を見ているような気持ちになります。そしてこの死に方なのですが、ドラマ『SPEC』っぽさを強烈に感じました。即死感というのでしょうか、指をぱちんと鳴らして次の瞬間にその場の全員が死んでいるような感じ。あっけなさ。不穏でありつつ耽美的な雰囲気もあり、すごくすきな歌です。

友だちがいつも以上に友だちを強調しはじめる昼休み

「おれたち友だちだよな?」という台詞は、一般的には言われた側にとって何か不都合なお願いがなされるときに吐かれることが多いのでしょうが、私のような「ホラー読み」をしがちな人間からするとすぐに怖い状況を想像してしまいます。友だちに誘われて、その友だちの運転で有名な心霊トンネルに行く 入ってしばらくすると、車が動かなくなり窓に血の手形がつく 友だちはじーっと前を見つめ「おれたち友だちだよな?」と呟く 「当たり前だろ、どうしたんだよ!」と叫びふとブレーキの辺りに目をやると白い手が友だちの足首を掴んでいる 「じゃあ助けてくれるよな」と最後まで言い終わらないうちにどこかに引き摺り込まれるというような。あれは基本心霊トンネルとかの話ですが、「昼休み」というのどかな舞台設定が余計不穏さを増幅させています。このような詩とホラーのハイブリッドのような作品がたくさん読めて、その点もすごく嬉しかったです。

終わったと思ったときに階段はもうひとねじれある 新しく

そのままの景で受け取っても良い歌なのですが、あえてメタな読みもできるのかな、と思い引用させていただきました。作者の短歌に対する「決意表明」のような、出尽くしたと思ってもまだ新しいことができるはずだ、という信念のようなものを感じました。短歌についてメタ的に描いている歌はいくつもありました。たとえば以下の二つ。

やみくもに日本語を繋ぎ合わせて外国のお菓子を作ろうよ

すき焼きの豆腐の横に短歌があり詩的に豆腐を描写してある。

「外国のお菓子」「すき焼き」の取り方にもよるのですが、私は悪意成分多めの歌だと思いました。「短歌あるある」といいますか、それっぽい美しい語彙を適当に組み合わせて作られている歌や、なんでもないことを過剰なポエジーでコーティングしているような歌をいじっている、という印象を受けました(この解釈は間違っていたら相当失礼ですね…すみません)。こういう歌もすごく共感できてしまいます。私は悪意を原動力に作歌を行っている部分があるので、同じことを考えている歌人がいるのはすごく安心できます。

ここに書いたもの以外でいうと、

雲が明るいと初めて見えてくる笹の一角 全能の夜

万華鏡をゆっくりゆっくり回しつつ異常な瞬間で手を止める

詐欺師から詐欺を取ったらかわいそう 何が残んの 技術以外に

百人は冷蔵庫には入らない 切ったとしても切ったとしても

休みのあなたを居たことにするため僕は自分の名前と思って書いた

などの歌も特にすきでした。

かなり引用してしまいましたが、実はこれでもかなり抑えたほうです。いい歌が多すぎます。

以下、その日の体調であったり室温であったりによってまるっきり変わるのであまり意味をなさないですが、一応今の気分の五首選となっています。

五首選

海を見ている 火を裏返すと風のおかしなボードゲームのあとで

四次元の弁当屋から春色のチラシが届く 移転のお知らせ

偽・satellite・聖・satellite・眼を積んだ要塞がそれを見開くとき

プリズム/三人は論理を守る/天上の闇/三人とも死ぬ

眼のういるす 花のういるす 球体のメリーゴーランドが水浸し

最後に

他人の「昨日面白い夢を見たんだよね」から始まる話はたいてい面白くないですが、それは眠るときに見る夢があまりにパーソナライズされているからで、支離滅裂な話だけ一方的に聞かされてもこっちは笑わないですよという気持ちになります。しかし、この歌集は徹底して我々読者の方を向いてくれていて、500のおもしろい夢を届けてくれていると私は受け取りました。500首もあれば普通は弱い歌も出てきてしまうのですが、一切の妥協がなく圧巻です。

全体を通してへんな感想文になってしまい、重いファンレターすぎるだろうという自覚もあるのですが、しっかり記事の形にまとめておきたいと思い書くに至りました。実作の面では、とにかくわからないなりに短歌を多く作っていきたいなと触発されました。文体を模倣するのではなく、自分が一番本気を出せる書き方を模索していきたいです。途轍もない歌集をつくってくださり、本当にありがとうございました。(第二歌集がすでに楽しみです!)